事実を事実のまま 完全に再現することは いかに おもしろおかしい架空の物語を生みだすよりも はるかに困難である・・・( アーネスト・ヘミングウェイ )
これは事実談であり… この男は実在する‼
この男の一代記をつたえたい一念やみがたいので アメリカのノーベル賞作家ヘミングウェイのいう「 困難 」にあえて挑戦するしかない・・・
これを見て「 ブルブル 」と武者震いするのは私だけでしょうか?
これはマンガ空手バカ一代の冒頭の部分ですが、当時強さに憧れていた小学生だった私は、もう『 どんな人なんだぁ!』と興味津々で、完璧に梶原一騎先生の図中にハマってしまいました。
これが極真空手 ゴッドハンド大山倍達を知った最初でしたが、その後 書物や映像などで その肉体的、精神的強化に役立つ名言に感銘してきました。
空手というと強靭な肉体から繰り出される数々の技をイメージするかと思いますが、肉体改造的なことは【 極真空手 大山倍達総裁に学ぶ肉体改造の原点 】を参照にして頂きたいと思います。
今回は、その肉体を支える精神強化について書いていきます。
- 弱気な自分を克服して精神的に強くなりたい人
- 恐怖感に打ち勝ち自信を持ちたい人
には、武道空手の真髄を極めた、そのカリスマ性の満ちた言葉は、自分を強くする精神強化のカンフル剤となることでしょう。
目次
我、事において後悔せず
これは宮本武蔵の言葉ですが、「 剣禅一如 」を貫いた武術家を師と仰いでいた大山総裁ですので、宮本武蔵という剣豪の影響は大きいですね。
吉岡一門との騒動の後、敵が大きくなるにつれ果し合いの前に、彼は神社で自分の身の安全を祈りかけた…
神仏は拝んでも、頼ってはならない。真の武道家はリアリストである。
武術の試合は、0.01秒の差、1,2ミリの差である。相手が0.1秒の動きであるから、0.01秒単位の武術家が勝つ。この絶対的なスピード差がなくて勝つことはできない。
数知れぬ実戦を知った者は、この点を知っている。これだけの差を生むことが武術の修行である。
単なる肉体的修行だけでは、この境地に及ばない。圧倒的な精神統一があって、はじめて0.01秒の武術が可能となる。
出典:「 極真大道 」より
んー武人の考えは、まずスピードの差なんですね~ 相手の動きが見切れるかが重要なポイントです。相手の呼吸、動きから先が読めるまで鍛錬を積まなければ抜きん出て強くなれないということです。
心身錬磨…肉体と精神の統一があってはじめて力となるんですね。
どんな分野でも、できる奴というのはスピード感がありますよね。ただ早いというだけではなく、的確なスピードがあります。このスピードが差を生むんですね。
まずはリアルなスピードを意識しましょう!
力なき正義は無力なり
正義を通したいが、暴力の前に屈してしまう…そこにあるのは恐怖感です。
断固として主張を通したいが、そのような場面では躊躇してしまう。そこで大山総裁は提言してくれます。
誰もかれも全員が武術を専門にして、達人の域に達しなくてもよい。達人が悪を働くことは滅多にない。
強盗、暴力漢の類は、ちょっと腕力がある程度、まずは30人に1人の力を持つ者は、滅多に悪いことをするものではない。だから我々は、暴漢から身を守るために、30人に1人くらいの腕力のあるものに打ち勝つだけの技を身につければよい。
それだけの技、スピードがあれば実際に戦わずとも、落ち着いて物事に対処できるし、とっさに敵が事を起こしたときに自然に対処できる。
男30人の中で闘争力No1であることが納得できれば、その人は態度、物腰までがしっかりとしてくる。話し方、態度の変化で社会に対する訴えかける力が異なってくるということです。
いつでも戦えるという気持ちが、精神に筋金を通すのである。
まず、心の底の底に、男なら戦う意思を持て!
出典:「 極真大道 」より
思わず「 押忍!」と言ってしまいそうです。自分に力がなかったが為に、一緒にいた大切な人を守れなかったら、その暴挙の被害にあってしまったらと考えると何が何でもやらなければなりません。
論より証拠、まず身体を鍛えましょう!そんな悲惨な目に合わないためにも。力さえあれば恐怖感は克服できます。
男30人の中で闘争力No1…頑張ればできるような気がします!でもその30人の中にボブ・サップみたいな奴がいると怖いですがね…(>_<)
特攻隊員の大義
こういったことを考えるとき、思い浮かべるのが特攻隊員の心情です。
太平洋戦争末期、日本は敗戦滅亡の土壇場にありました。祖国存亡の危機に立ち、命ぜられた使命は、大型爆弾を積んだ機に乗り込み、敵艦に体当たりし散華していく任務でした。人間極限の状況にあって、強制的に死を賭して祖国を救おうと覚悟を決めて飛び立っていったのです。
その時のことを陸軍航空隊の整備兵として、目の当たりにしてきた当時の大山総裁は語っています。
特攻隊員はみな20歳前後であった。まだ紅顔の残す若者たちが、胴体に爆弾を抱えたまま微笑みさえ浮かべ、見送る私たちに手を振りながら離陸していく。いったん飛び立てば死は必至なのに。その心情を、平和満福時代の同年代の若者たちに理解せよ、といったところで無理であろう。
特攻機を整備する立場にあった私は、特攻隊員たちとよく話をする機会があったが、隊員たちはみな異口同音に『 大義に殉じるのですから悔いはありませんよ 』と淡々と語っていた。
その崇高な心境に達するまでにはおそらく、自らの死や肉親への情愛、その他さまざまな悩みや悲しみとのギリギリの精神的葛藤、いや精神的格闘があったに違いない。
それをただ独り自力で克服して、つまり自分に勝って『 大義に殉じるのですから…』と淡々と語れる境地に達することができたのだ。
出典:「 自分に勝て!わが性格改造論 」
想像を絶する苦悩です… 敬意を払うというレベルではありません。どのようにしてその境地まで達することができたのか。
「 大義 」…人がふみ行うべき最高の道義。国家、主君への忠義、親への孝行など。とありますが、しかし特攻隊員の心中はどうであったのだろうか。
本心は自分たちが命をかけてやらなければ、米兵に侵略され、大切な人を、家族や祖国の女、子供の尊厳までも踏みにじられてしまう。そんなことは耐えれない、命に代えても守らなければという決死の思いからだったと私は感じます。
何もA級戦犯の政治家のためではなかったはずです。
このような事実を知り、実際にあった人物の境地、心情を想像し、自分の中に取り入れることによって少しでも精神強化の礎にしていかなければなりません。
細胞を活性化させよ!
身体を動かせば、細胞は喜びます。言うことは利巧で素晴らしくても、土壇場に弱ければ外部からの攻めには屈してしまいます。
仁愛を説き知を説く儒教的な考え方は、モラルは厳しいけれども、身体の鍛錬がかけているのです。
ロシアの文豪ドストエフスキーは、シベリアに流刑され監獄生活を送ったときに、酷暑の中で毎日、朝から晩まで瓦を運ぶ仕事をさせられました。その時の気持をこう語っています。
『 あのときは、錬瓦を引っ張る縄が、私の肩に喰い込み、血が滴り落ちたものだ。だがその労働がだんだん愉快なものになってきた。それまで瘦せ細っていた私の身体は、みるみるうちに頑丈になり、体力は急に充実してきた。
そのころまで私は、生きようか、死のうかと迷いながら生きていた。それがどうだ!
錬瓦を運ぶほどに生きていることが、何だか嬉しくなってきた。私はだんだん、生の賛美者になってきた。そして強く感じた。どんな境遇にあっても、健やかに生きるということが無上の楽しみ、無上の喜びであることを…』
出典:「 極真大道 」より
渾身の力で挑み、汗を流せば、全身の骨格と筋肉の細胞が生き生きとしてくるのを感じます。このとき感じる歓喜は、細胞が活性化しているという喜びでしょう。こういった感覚は人生観をも変えてしまう力を秘めています。
頭だけを疲労させていると、体の細胞が退化して、神経が病んでいくのです。
気合を入れて、サンドバックを思いきり殴り、蹴れば治る心の病かもしれません。
実践なくんば証明されず。証明なくんば信用されず。信用なくんば尊敬されない。
という格言を残されていますが、まさに実践あるのみ、机上の空論ではない現実味を帯びています。
気持ちを変えるには、このことが全てを物語っています。
コメント