今回、物事を最速で効率よく上達していくために 「 何か良い指南書は ないかなぁ 」と考えていたら、ふっと吉田兼好の「 徒然草 」が思い浮かびました。
そう、あの「 つれずれなるままに~ 」で始まる 『 枕草子 』『 方丈記 』と並ぶ日本三大随筆の1つです。
ちなみに「 つれずれなるままに 」というのは、特にやることもなく、気の向くままにという意だそうですが、吉田兼好が暇な時に思うがままに書いた この古典文学の名作には、上達するコツというものが所々に散りばめられています。
では、さっそく解説していきましょう。
目次
吉田兼好とはどんな人
吉田兼好は、鎌倉時代末期に生きた歌人、随筆家、思想家であり法師です。
時は南北朝乱戦の時代、飢饉や病気が蔓延し大変な時だったためか所詮諸行無常という、未来など誰もわからない、わかっていることは死ぬということだけである。といった「 無常観 」の意識が強いです。
だから「 薄っぺらな理想論 」はなく「 現実的 」で「 具体的 」な色彩が強いですね。
今回は、主に上達法のコツについて書いていきますが 兼好はこの随筆で人生訓や恋愛、修業、自然など独自の視線で色々なことを書いています。
それはエピソードも踏まえ、具体的でわかりやすく、活かせる内容ばかりです。
タテマエではなくホンネでモノをいう対話の名人であり、当時の名カウンセラーでありました。
「 先達 」の必要性
ここで言う「 先達 」とは、その分野に詳しい人
メンター( 師匠 )という意です。
ある坊さんが、石清水八幡宮にお参りに行ったエピソードがあります。( 第五十二段 )
その坊さんは石清水に行ったことがなく気が引けていました。
ある時、思い立って1人で参拝に出かけていきましたが、石清水のことは全く知らなかったので、八幡宮の付属である極楽寺と高良神社だけ拝んで「 これで念願を果たした 」と満足して帰ってきてしまいました。
帰ってから、皆に「 念願だった参拝を、ついにやり遂げました。
しかし、お参りしてる方々が皆、山へ登って行かれてたので何かと思いましたが、今回は参拝が目的だったから山の上までは見ませんでした。」と言いました。
石清水八幡宮は、この山の上にあったのですが、坊さんはそれに気づきませんでした。
最後に「 少しのことでも、先達はあらまほしき事なり 」で締めくくっています。
どんな些細なことでも、案内が欲しいということですが聞くのが恥ずかしいからといって、知ったかぶりをするのが原因だと言っています。
この教訓は、初心者が独学で追及すると肝心な要所を見逃してしまう。
やっぱり、その分野に詳しい人に聞く。
正しい方向に導いてくれるメンター( 師匠 )から学んだ方が断然、効率が良く上達できるということですね。
自分がまだ習得していないことが認識できているかが わかっていれば、それを会得するための練習メニューも立てやすくなりますし、ロスも少なく確実に上手くなっていけるでしょう。
誰でも最初は素人
技芸を習得するときの心得が出ています。( 第百五十段 )
これから技芸を身につけようとする人が、「 まだ下手くそなうちは、人に見られたら恥ずかしいから人知れず練習して上手くなってから披露した方がカッコいいだろう!」などと 勘違いしがちだ。
こんなちぃちゃなことを思っている人が、芸を身につけた例しがない。と言っています。
まだ下手くそなうちから上手な人達に交ざって、笑われても苦にすることなく、平気で邁進していけば才能や素質などいりません。と
そういった気概をもってすれば、途中で挫折することもなく、我流や自分勝手に陥らず向上していくでしょう。
それを継続していけば、器用で才能に恵まれただけの鍛錬を怠っている人を超越して、人間性においても、人の評判や名声を得るようになっていきます。
天下の名人といわれた人だって、最初は下手くそでボロクソ言われて屈辱を味わったものの、その道筋を正しく学んで、人一倍の努力を続けてきたからこそ師匠となって尊敬されるようになったのだと。
どうでしょう?違言はありませんよね。
おっしゃるとおり 納得です。
もうこれは、精神のボルテージの高さですね。
エネルギーの一点集中
ある人が、説教師になりたかったけれど、その前の準備に夢中になってしまう話です。( 第百八十八段 )
説教師とは、仏教の経文を説き聞かせる人です。
まず馬に乗ることを習いました。
主催の人に招かれたとき、馬で迎えにきた場合に落馬などしたら心配だと思ったからです。
次に仏事の後、酒席において何か芸がないのはみっともないと考えて流行歌を習いました。
この二つのことが、だんだん上手くなってきたので、ますます精をだして稽古に励んでいるうちに、肝心の説教を習う暇がなくなってしまった。
若いときは、色々なことに興味が涌いて、あれもこれもやりたいと吞気に時を過ごしていると、結局は何1つ成し遂げることはできずに、年を取ってしまいますよ!
と喝破しています。
最後は「 走りて坂を下る輪の如くに衰え行く 」となる。
走って坂を下る車輪のように衰えていきますよ、と。
本当に実現したいことの中で、自分は何が一番勝っているかよく見極めたら、他のことは捨ててエネルギーを一点集中するべきである。
貴重な時間を無駄にしないためにも、肝に銘じておきたいものです。
総評
吉田兼好という人は、その道の達人をジャンルに問わず、またその価値の高いか低いかに関わらずに、評価していました。
そういった達人たちが持つ上達のコツには、共通なものがある。
そのコツを上手く聞くのが、習慣化されていたと感じます。
エピソードを交えて語る話は、凄く分かりやすく主観的な部分が心に入ってきますね。
ここでは上達の極意というものを、大まかに三つのエピソードに分けて紹介しましたが、上達の王道だといえますよね。
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- 先生を作ってコツを教わる
- 他を気にせず、一心不乱に努力する
- これと決めたらエネルギーを一点集中させる
非常にシンプルですが、深いですね。意識をしっかり持って取り組んでいけば、ライバルに差をつけることになるでしょう。
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